さよなら渓谷って映画を見た
サクッと短く感想。
眠いから。
なんだか不思議な映画でした。
アマではめっちゃdisられてましたが、確かにこんな凄惨な罪を犯された被害者がその加害者と夫婦になるなんて有り得ない。
でも少しこう思った。
運命の人との出会いが、おとぎ話や少女漫画みたいな美しい理想的な物では無かった運命の2人が、その理想的じゃない出会いでただ一緒にいるだけの映画だって。
不幸せになる為にふたりは一緒にいると言うが間違いなく幸せだったと思う。
こんな話は現実的じゃない。
ただとある作家が、小説や漫画なら現実では悲劇にならざるを得ない話もその中なら救ってあげられる、だからせめてその中では救ってあげたいと言っていた。
この映画もそうで、最後離れ離れになる事でふたりは救われたんだと信じている。
それでもまたふたり出逢ったら、その時初めてふたりは運命のふたりだったって自覚するんだと思う。
もしかしたら既に自覚していて、欠けたガラスの破片と破片がぴったり合わさる感覚がふたりにはとっくに有ったんじゃないか。
それでも一緒に不幸せになろうと約束したふたりだから、それは間違いなく幸せだったのに不幸せと言い換えて、離れる事で不幸せになろうとそこで初めて不幸せになるんだと約束は始まって、けれどふたりはそれが幸せなんだと言い換えて本当の幸せはもっと先に有ると嘯く。
そしてそこでまた逢えるようにふたりはちゃんと決まっていて、作中の戻って来て欲しかったという言葉をそのときに本当に心の底から言い合っているんじゃないかって。
きれいな運命の出会いを描かず、穿った角度からまた別の、曲がりに曲がった運命の出会いを描いた、そんな映画なんだと私は思った。
ナンセンスな運命の出会いだけど、そんな出会いはもしかしたら有るのかもしれない。
でも私はこんな運命の出会いは絶対に嫌だ。
渓谷。
綺麗だった、青梅か。いいなあ。奥多摩も憧れ。
映像美しかった。
さよなら渓谷ってタイトルも好きだ。
瑞々しい。
殺害事件。
秋田の某子供殺し事件をモチーフにしているんでしょう。
でも正直いらなかった。
大筋に関係しないし。
過去への起爆剤にはなったが、殺害事件じゃなくても良かったんじゃないか。
あとは井浦新。
井浦新に疑われたい。
乱暴にされたい。
井浦新になら何をされても良い。
私は井浦新にはとことん弱い人間なんだと自覚しました。