乃木坂46 新しい世界 の好きなところ (考察?)
新しい世界
20th アンダー楽曲
センター 鈴木絢音(すずき あやね)
・絢音ちゃんがすんごく綺麗。
・新しい世界と言うタイトルが3期生も加わったアンダーの始まりと言う意味にも伝わる。
・歌詞の世界観が乃木坂には新しくも有りそうで無かった世界。
・曲の世界観を伝えるには絢音ちゃんしか居なかった、と言うくらい分かり易く明るい訳でも無く分かり易く暗い訳でも無い曲。安易に優しい訳では無い。
(絢音ちゃん推しの人はごめんなさい、でも絢音ちゃんこの頃めちゃくちゃ変わったと思う。私が絢音ちゃんで好きな所はお話を振る時。例えば、みり愛に振る時はみり愛は?ってお母さんが話し掛けてくれるみたいに声色が穏やかで優しい。それで相槌打つ時も好き、話し掛ける時が相手にちゃんと伝わる様にって力を込めて優しい声で、絢音ちゃんが好きです。)
箇条書き面倒になって来た、ここからは文章になります。
(4/19追記 細かい自己解釈てきな考察記事はこちら→乃木坂46 新しい世界 考察みたいな自己解釈記事 - 夕焼けあじさいヶ丘二丁目 )
乃木坂46 20thシンクロニシティアンダー楽曲、新しい世界。
アンダーって言うのは選抜形式の乃木坂では選抜の1つ下のチームって意味になります。雑に言えば。
私の認識では、だいたいこう。
間違えてないと思う。前はここに、
研究生と言うのが有りました。
ただし今はありません。(これから復活するかはわからない。)
アンダーと言うのは選抜に選ばれ無かったメンバーが次の楽曲で選抜に選ばれるまで活動するチームで、一期生だから選抜に優遇される訳でしょとか考えが浮かぶ事も有りますが、一期生でもアンダーのが多くそのまま卒業した子もいますし、今でも二期生や三期生を支える精神的な支柱となり頑張って支えている一期生がアンダーにも居ます。
今は選抜固定で圧倒的な人気を誇り、白石麻衣や西野七瀬と並ぶ三英傑が1人の齋藤飛鳥も最初はアンダーメンバーで、白石麻衣や西野七瀬には無いアンダー経験があります。聖母と呼ばれ大人気でメンバーから慕われていた深川麻衣にもアンダー経験があります。
アンダーだと響きから可哀想だとか思われがちですが、決してそうではありません。アンダーも選抜を支える大事な存在であり、表題よりアンダーの曲のが好きと言うオタがいる様に(個人的な価値観に偏りますが)アンダーのが良い楽曲が充てがわれている、なんて事があります。
選抜楽曲だけが乃木坂では無く、乃木坂の曲は良い曲が多いと言われる理由にはアンダー楽曲の存在がちゃんとあります。
そして今回の新しい世界もまたそうです。
選抜やアンダー以外に福神制度も有るんですが、今回は省略します。雑に言うと選抜にも七福神や十二福神とかそう言う括りが有る訳です、決して選抜に上がれたから安堵とかそう言う事では無く、そしてなぁちゃんにはこの福神制度により少しだけ苦い思い出があります。
新しい世界と言う曲について。
・主人公(男の子)
・君(女の子)
・彼(男の子)
この場合君も男の子なら新しい世界と言うタイトルには成り得ないし、真実を隠し続ける、失望させてごめんね、この胸の中で目覚めた世界は、本当の自分を僕は認める、恋の形が違っただけ、カーテンを開けて広がる世界は、まさかの気持ち、と言う歌詞は出てこない。
なのでこの曲は自然と同性愛の意味が含まれる曲になります。
カーテンを開けて広がる世界は
と言う歌詞については、カーテン(見えない様に見ない様にしていた)と解釈をしたらそのカーテンを開けて広がる世界は、僕が彼を好きだと言う事実に自分自身も目を向ける覚悟を決めた世界になります。
はたまた、彼を好きだと君に言えない後ろめたさの荷を降ろせた世界。
だからそこから繰り返し何回も見ていた夢は彼と僕が幸せな夢。結ばれた夢になるかと。
だからひたすら僕は彼にもう1人の僕を愛して欲しいと乞うている、要するに彼は友達とか先輩とか後輩とかの近しい存在。それ以上になりたいと。彼は僕を友達や後輩、先輩としてしか見ていないから。
これが、
>彼を好きだと君に言えない後ろめたさの荷を降ろせた世界
だった場合は、君を僕から解放してあげられた夢を見ていたと言う意味にも。
だけど前者にしか見えないんだよな、歌詞的に。
僕はそれまで男の子を好きだと自覚した事はなかったから彼を好きだと気付いてからそんな訳ないと自責の念に駆られ、その上彼や君にも申し訳ないと謝罪し続けていたけど、それでも彼を好きだから彼に僕の言葉を伝え受け入れられた夢をひたすら見続けて、それを叶う訳ないと現実を突きつけられ何度も泣きながらずっとずっとずっと背負い続けて来たけど、次第にそれも辛くなって来て遂にそれから目を背けず立ち向かおうと決意した。
それが新しい世界。
私は、同性愛をタブー視するが為に自己を封じ込めて苦しみ続けて来た人も沢山いるだろうと、今まで沢山映画見たり経験談読んだり漫画読んだり小説読んだりドキュメンタリー見て考えて来た。
ただ好きな人がいて好きだと言えない苦しさや申し訳ないと卑屈にならなきゃいけないのはフェアじゃないと。
好きだと思う気持ちに異性愛も同性愛も有る訳ないと考えて来たし、異性だから好きになる、同性だから好きになる、そんな事無いし。
たまたま好きだと感じただけ、それが恋なんだから。
これを漠然とふわふわ考えていたのをちゃんとそうなんだよって教えてくれたのが、柴咲コウ主演のメゾン・ド・ヒミコ。ずっとずっとそう信じている。
そして新しい世界の、
恋の形が違っただけ
って歌詞はそれをちゃんと理解してくれているな秋元先生、って感動した。
何故かと言えば恋の形が違っただけって、そこに性別なんか存在しないって言い切っている。
ただ着ている服が違うくらい、性別なんてそんな物だと。
変に特別視したり聖なる物みたいに持ち上げたりせずに普遍的な物に落とし込み、語ってくれた。
恋という存在の前に壁なんか無いよって。
誰かを好きになる、それだけの話。
それをタブー視したり変に特別視したりそんなの必要無い、ただ好きなだけ。好きになってしまっただけ。それだけなんだと。
うわああ新しい世界ってこうかも!って考えながらMV前の絢音ちゃんのセリフ聞くと、より一層そう聞こえてくる。
そう言う所が大好き。
LGBT問題が日本でも活発になって来たからこそ、今それに向き合おう、それが新しい世界だとか。うん?なんか違うか。
あと、この曲は絢音ちゃんの持つ中性的なイメージが有るからこそ成り立った曲。
中性的なとは、成否に偏らずどんな物でも受け入れていくと言う意味。
受け入れていくのは強くなきゃ無理だけど絢音ちゃんは今まで二期生でも頑張って来たしアンダーでも頑張って来たし、自惚れビーチでは初めてセンターに立って自惚れビーチを乃木坂の中で大ヒットさせた。絢音ちゃんはもう強い。
蘭世やちまでは伝えられ難かった曲、絢音ちゃんだから出来た曲。
そう見た。
とにかく新しい世界大好きだ。
20thは強い。